相模原事件について考える ~多様性の今~
私はこの相模原事件を通して、人々はいかに障がい者に対して冷たい世の中なのかと残念に思いました。
この事件は当時とても大きく取り上げられ、障がい者に対しての扱いについて考えさせられるきっかけとなる大きな事件であったと考えます。
そもそもこの事件を起こした植松聖という人は、もともと教員志望であったといいます。
しかし、夢半ばで教員という仕事をあきらめ、福祉の仕事に就くことになりました。
彼は福祉施設の中で働くうちに、障碍者に対して差別意識を募らせていったのではないかと考えます。
彼は仕事中、入所者が粗相をして、それを片付けているとき、入所者の上から目線の様子が気に入らなかったといいます。
また、この時代、終身雇用というあり方が揺らぎ、安定した働き方ができない時代になってきている。教員という自分の希望の職に就けず悔しい思いをしていたと考えました。
また、福祉施設というものはとてもクローズドな環境である。他のものとの関係は基本的にあらず、この施設内で基本的に完結してしまいます。
入所者は施設の外では居場所があらず、警察を呼ぶわけにもいかず、結局施設の職員が何とかするしかない。またやりがいという面で、障がい者相手であるので、基本的にやりがいというものは少なく、感謝という感謝もされにくい。そうした中で植松さんは、自分の存在価値を見出すのが困難になっていたのではないかと考えます。
そうしたやり場のない気持ちというのをまぎらわす相手としてふつうは人と会ったりして紛らわすが、植松さんが自分の存在の証明を求めた先は、国家に対して出会ったりメディアにと要り上げてもらうことであったのでしょう。
衆院議長公邸に持参した手紙に『日本国が大きな一歩を踏み出す』と書いていた。日本のために正しいと思うことをしたので、世間の人に認めてほしいです。
そのような思惑が手に取るように見られた。しかし、そうした意味で彼は今までの歴史にあったような凶悪犯や、愉快犯とは一線を画し、ある意味で共感を集めるようなものであったともとれるような気がしました。
事実、ネットでは共感する声もあった。彼は殺す相手がだれでもよかったわけではなかったと思います。
ただ世間の人から賞賛を受けたい、その一心であったのかもしれない。植松さんは、こうした経緯で様々な不満、不平が積み重なり、いわゆる社会的弱者の障がい者に対して矛先を向けてしまったのかもしれないです。
もし彼が教員に慣れていたらまた大きく違う人生であったのではないかと考える。この事件は国内外で大きく取り上げられ、海外では、障がい者と高齢者の扱い方にお国柄が出るという批判や、この事件を引き合いに出し、このようなことがない社会を作るという文句で出馬し当選するケースがあったといいます。
しかし、それに比べて日本はというと障がい者の虐待は絶対にいけないことだという報道や、力強いメッセージが伝わってこない。この事件を受け、むしろ、障がい者がいけない、障がい者は必要ない、障がい者は憎たらしい、見ていて不快だという、植松さんをむしろ擁護、支持をするような文言がたくさん流れてきていて、私はこれが日本の闇であるのかと少々がっかりしてしまいました。
健常者、欠陥がないものがもっともよく、何か欠損があったり、生産性に欠け、いびつなものを排除してしまう今の日本の体質は見ていて全く気持ちがいいことではない。もっと、生きているという命の尊厳の方に目を向け、障がい者にも、またお年を召された方にも優しい日本になっていく必要があると考えました。